(2)文明の交差路イスタンブル

旧市街のホテルの窓からみたブルーモスクの夜景  撮影:2012/03/22
旧市街のホテルの窓からみたブルーモスクの夜景 撮影:2012/03/22

夜遅くイスタンブルの旧市街にあるホテルに到着した。ホテルの窓からライトに照らし出される壮大なブルーモスクが見えたとき、イスラームの国にやってきたという実感が始めてわいてきた。戒律が厳しく、聖戦 (ジーハード)とといった物騒な言葉も時折聞かれる世界にやってきたという一抹の不安がある一方、東洋と西洋の中間にあって数千年に及ぶ歴史の興亡を経験した地に対する期待も大きい。実際、この旧市街には、イスタンブル歴史地区という名のもとに、ユネスコ世界遺産の保護地区が四ヵ所ある。そのなかで遺跡の最も多いのが遺跡公園地区でブルーモスクはその一端にある。

ブルーモスクの正式名は、スルタン∙アフメット一世ジャミイで、ジャミイはイスラム教の寺院を意味するトルコ語。オスマン帝国第14代皇帝のアフメット一世の治世下1616年に完成しこの名が冠せられた。モスクに付随する尖塔(ミナレット)の数は寺院の格付けを示すようで、最大六本のミナレットを配しているのはイスタンブルではブルーモスクのみである。尖塔には拡声器が設置され、日の出や日没などににあわせて一日五回の礼拝時刻が告げられる。朗々と流れる詠唱でイスタンブルでの朝があけた。

イスタンブルから遠望できるアジア大陸側のトルコ   撮影:2012/04/04
イスタンブルから遠望できるアジア大陸側のトルコ  撮影:2012/04/04

遺跡公園地区内にある残りの遺跡は、ブルーモスクに隣接するローマ競技場跡、イェレバタン地下貯水池 (地下宮殿)、アヤソフィア聖堂、トプカプ宮殿の四つで、内部の見学をしなければ三十分程度で全部を見渡して行くことができる。このうちオスマン帝国時代に属するのは、15世紀に完成したトプカプ宮殿と上に述べた17世紀のブルーモスク。アヤソフィア聖堂とイェレバタン地下貯水池 はともに東ローマ帝国時代6世紀に現在の姿になったとされる。ローマ競技場跡は、首都がまだローマにあったローマ帝国時代の3世紀初頭のもので、その時代は、ギリシャ人によって紀元前7世紀頃に建設されたビザンティウムと呼ばれた地であった。前述したようにイスタンブルの観光は旅の最後になったので、これらの遺跡については後述する。

この公園地区は半島状に伸びた丘の上にあり、最後のトプカプ宮殿の裏庭は半島先端部にあり、ここまで来るとトルコをヨーロッパ側とアジア側に隔てるマルマラ海が眼前に広がる。小アジアまたはアナトリアと呼ばれるトルコのアジア側をこの内海の向うに遠望できる地点である。

マルマラ海の東西の長さは約280キロで、瀬戸内海の約三分の二の広がりといったところ。東の端でボスフォラス海峡となって黒海につながり、西ではダーダネルス海峡がエーゲ海、さらには地中海への出口を提供する。両海峡とも全般的に狭隘で、最も狭いところは1キロに満たない。それゆえ、古来より、ヨーロッパ側からアジア側へまたその逆方向へと、海峡部を利用する往来が盛んであった。

第二ボスフォラス橋と海峡を行く遊覧船  撮影:2012/03/23
第二ボスフォラス橋と海峡を行く遊覧船 撮影:2012/03/23

ボスフォラス海峡の長さは約30キロで、イスタンブル市内から頻繁に遊覧船が発着する。海峡に架かる二つの橋がヨーロッパ側とアジア側をつないでいて、両側がイスタンブル市の管轄下にある。第二ボスフォラス橋は、日本政府の開発援助で建設された。

トルコのヨーロッパ側の面積は全国土の5%に満たないが、全人口 (2008年の推計で約7500万) の約15%がイスタンブルに居住する。陸上交通のほかにフェリーが頻繁に往来して市民の足となっている。海底トンネルをふくむ鉄道建設によって交通渋滞を緩和をすべく、約14キロの工事を大成建設が2013年の完成をめざしている。

オスマン帝国の城塞ルーメル∙ヒサール  撮影:2012/03/23
オスマン帝国の城塞ルーメル∙ヒサール 撮影:2012/03/23

ボスフォラス海峡を行く遊覧船が第二の橋にさしかかると、城塞ルーメル∙ヒサールが見えてくる。ルーメルはトルコ語でヨーロッパ側という意味で、対岸のアジア側にも小規模ながら城塞の址が見える。オスマン帝国は海峡の制海権とくに黒海への往来を制する目的で、1452年にこの城塞の工事を開始した。イスタンブルの前身であったコンスタンチノープルへの攻撃は、四ヶ月で完成したとされるこの突貫工事の後に本格化し、紀元330年より1100年以上も続いた東ローマ帝国は翌1453年に陥落した。

ダーダネルス海峡を航行するタンカーとアジア側のトルコ  撮影:2012/03/24
ダーダネルス海峡を航行するタンカーとアジア側のトルコ 撮影:2012/03/24

マルマラ海の西の出口ダーダネルス海峡は、ボスフォラス海峡の二倍の長さ (約60キロ)で、ヨーロッパ側から西南方向に伸びたガリポリ半島によって抱きかかえられている。紀元前5世紀、船を繋いで橋を作りヨーロッパに遠征したペルシアのクセルクセス王の軍団や、逆に、紀元前4世紀、ヨーロッパ側からペルシア遠征を行ったマケドニアのアレキサンダー大王の東征軍もこの海峡を渡った。

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